世界中にある在外公館のうち、80ヶ国あまりの大使館や総領事館に私のような医務官という仕事をしている医者がいますが、そのほとんどの国がいわゆる発展途上国なので、我々医務官の大切な仕事の一つに現地の医療事情調査があります。その調査結果を外務省HP上などに掲載して、現地在留邦人や旅行者の方々に役立てていただこうということなのですが、発展途上国の医療事情というのは、都市部と地方によりまったく違っていたり、病院によって天地の開きがあったり、あるいは同じ病院でも医師によってまったくレベルが違うということもままあることで、これを評価するのは見かけほど簡単な仕事ではありません。その上、途上国の場合は、医療システム自体も体系化されていなかったり、法律の整備が不十分であったり、政府の方針が度々変更になったりと、いろいろな意味で流動的なことが多く、これを十把一絡げに評価するのは意外になかなか難しいものです。それでもできるだけ新しい情報に更新すべく、日々様々な医療情報を集めているのですが、全ての病院、全ての診療科についての情報を集めるのはやはり難しいものです。
さて、今回、偶然にも北京における出産(産婦人科)の実情を目の当たりにすることができたので、少しお話したいと思います。今まで、医務官情報や北京の医療事情として、複雑な手術、最新の治療法とともに、出産に関してもまた、できるだけ日本に帰国することをお勧めしていました。しかし、北京の医療事情も日々変化があり、実際に今はどうなのか以前から気がかりだったのですが、機会があるたびに患者に同行してこっそり調査して少しずつ情報を集める中、こと産婦人科は私が男であることもあり、ほとんど縁がなかったので情報も少なく、そういう意味では貴重なチャンスとなりました。本来、医務官の立場としては帰国出産を勧めるべきところだったのでしょうが、昨今の日本は医師不足で、とりわけ産婦人科と小児科の医師不足は深刻ですので、今までのように出産直前に日本に帰ってポン!・・・というわけにもいかず、やむなく当地での出産を選択したという訳でした。今後このようなケースが増えることになるのかもしれません。いずれにしても、入院先は私も今まで訪問したことがない病院だったので、病院に対しても特に医務官という肩書きを明かさずに対応を目の当たりにすることができました。このような機会はあまりなく、医務官であることを先に明かしてしまうと、どうしても病院はなるべく良いところだけを見せようとして、ありのままが見られなくなってしまうので(病院側が身構える気持ちはもっともだと思うのですが)、ただの付き添いの様な顔をして評価できたのは(病院には少し申し訳ない気もしますが)やはり貴重でした。
果たして、結果から申し上げると、やはり「できる限り日本での出産をお勧めします」という今までの報告を書き換えるには至りませんでした。
それはまず、外資系病院であったにもかかわらず、外来診察中に突然前の受診者がドアを開けて戻ってきて、なにやら医師に質問したり、(これが中国の一般病院なら、さらに多くの順番待ちのギャラリー患者が診察室に入ってきて周りを取り囲み、医師と患者のやりとりを聞いて、ああでもないこうでもないと口を出すこともあるそうです。こうなるとプライバシーのかけらもありませんね。)帝王切開のために入室した手術室の天井には誰のものか、血が飛び散ったままだったり、エレベーターは患者が降りるより先に掃除のおばさんがモップとバケツを持って乗り込んできたり、病室ではカーテン全開で外から丸見えのまま処置をしたり、そもそも事前に周知する習慣がないからか、入院中の細かなスケジュール(時間)はほとんど知らされず、検査も処置も突然で、患者の事情などお構いなしといった感じでした。とにかく、全てにおいて合理的とか、システマチックという概念がないのか、それに加え、がさつで配慮に欠ける対応は、おそらく多くの日本人が「イラッと」するのではないかと思うことが多かったようです。おまけに日本とは違い、中国では「新生児室」というものがないことが多く、通常分娩ならもちろん、帝王切開でも、出産後は赤ん坊と一緒に病室に帰り、すぐに自分で授乳を始めなければならず、(日本のやり方が甘いのかもしれませんが、)出産直後のお母さんにはちょっと厳しい気もします。
しかしその一方で、日本より良いと思われるところもありました。まず、帝王切開の場合、追加料金を払えば誕生日(時間まで)を指定することができます。日本人にはあまり有り難みはないかもしれませんが、一人しか産めない中国人は可能な限り良い日時に生みたいという希望が多いそうで、親としては嬉しいサービス(?)でしょう。それから、診察では内診がほとんどないのは妊婦さんにとっては気が楽なようですし、病室は大概日本の病室よりかなり広く、家族の付き添いも当たり前なので、付き添い人用のベッドや食事なども不自由しません。また、医療レベルとしても、看護師のレベルや対応にはまだまだ不満と感じるものの、医師のレベルは豊富な経験ゆえか、説得力があり、日本の産婦人科医よりむしろ安心できるかもしれません。それと、いいのか悪いのかは別にして、驚いたことが2つ。一つは生後数日で「水泳」があったこと。赤ん坊の首に浮き輪をつけて深い浴槽に浮かべます。効果の程は良く知りませんが、中国では人気のようで、私も以前聞いたことはありましたが実際に見たのは初めてで、もちろん自分で泳ぐわけでもないので、まるで波に漂うクラゲのようでした。もう一つは、入浴から病室に戻ってきた赤ん坊がミノムシのように毛布できっちり「スマキ」に巻かれていたこと。手足を動かすこともできず、なんてことをするんだとかわいそうに思いましたが、後日、他の人から、アメリカのカリスマベビーシッターがTVで同じことをしていたと聞き、こうすると赤ん坊は安心して眠るのだとか。でも中国では昔からやっていたそうで、う~ん、あなどれません、中国。ミノムシ巻きに詳しい中国人に聞いたところ、農村部ではさらにそれをヒモで縛って農作業中は安全のため柱などに結んでおくそうです。う~ん、おそるべし、中国。
今回の経験が全ての北京の産科病院に共通するとは思えませんが、衛生観念や患者への配慮などの点において、根底の考え方はおそらく共通しているでしょう。その結果、やはり日本人の出産にはまだ厳しい環境ではないかと思えます。あるいは医務官という触れ込みなしだったからこそ見えた事実であるとすると、今後も医療機関評価をする時はグルメガイドブック「ミシュラン」のように覆面調査(今は違うのかもしれませんが)が良いのかもしれません。
<おまけコラム>
11歳になる息子に「ムーンウォークって何?」と聞かれたので、「マイケルジャクソンって知ってる?」と聞き返すと、「あ~、あの、悪い人でしょ?」 「?!・・・」
ジェネレーションギャップというか、世代の差で同じ人物がここまで違う印象になってしまうんですね。
なお、このコラムでは、なかなか個別に応じて差し上げることができない在留邦人の方の健康相談の窓口としても、皆様からの御意見、御質問を受け付けたいと思っております。残念ながら全てにはお応えできませんが、できるだけこの紙面をお借りしてお応えしたいと思いますので、下記アドレスまで御遠慮なくメールをお送り下さい。
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