カテゴリ
相互文章

 

 

 

 

医者の不養生 vol.17―ヤブ医者

出所:在中国日本国大使館 作者:医務官 稲富雄人 日期:2010-03-03 クリック数:

 今年の北京の冬は厳しいですね。私も北京で3回目の冬を迎えましたが、正直今までの冬は「噂に聞いていた割には大したことないな」という印象でした。「東京の冬の明け方、吹きさらしのホームで電車を待っている方がよほど寒いんじゃないか?」と。しかし、さすがに気温が零下の日に5分も外を歩くと耳や手が痛くなります。寒いと耳や指が痛くなることは今までも経験がありましたが、本当に寒いと頭まで痛くなるとは北京に来るまで知りませんでした。初めての冬に、エスキモーのようなロシア人のようなあの毛皮の帽子を見た時には「ずいぶん大袈裟な。第一かっこわる~!」(女の子がメーテル(はい、銀河鉄道999のメーテルです。知らない人はごめんなさい。)みたいな帽子とかフードをかぶるのならかわいいけど…)とか思っていたのに、今年はたびたび頭が痛くなり、「あの帽子いいなあ、どこに売ってるんだろ?」とか考えてしまいました。指先や耳など、露出していて末梢(体の中心から離れた場所という意味です)の部位は外気の影響を強く受ける上に体温が届きにくく簡単に冷えてしまいます。低温になると、中心部の体温を維持するために末梢の血管は収縮するので血液循環が滞り、ますます冷えた挙げ句、ついには組織が炎症を起こしたり壊死(死んでしまうこと、「えし」と読みます)してしまいます。これがいわゆる「しもやけ」ですから、しもやけはまずこのような末梢部位によく起こります。

 冷たいとしもやけになるのは皆さんもご存知でしょうが、例えばドライアイスなどを素手で触ると「やけどする」という言い方をしますよね。やけどは漢字で書くと「火傷」ですから、やはり「凍傷」であって、「火傷」は熱いときに使われる方が正しいような気がしますが、かといって、ではこれもしもやけと呼ぶべきか、というと、確かに低温が原因ではあるものの、しもやけのように血液の循環が原因になるのではなく、局部が急激に低温になることによって直接その組織が損傷するので、理屈上はなるほど火傷と同じ熱傷の仲間なんですね。でも私自身未だにあまり納得していない日本語です・・・

 日本語で思い出しました。この間、同僚数名と昼ご飯を食べていたときのこと、なぜだったか「ヤブ医者」の話が出ました。まあ、医者としてはあまり嬉しい話題ではないのですが、なぜ「ヤブ」っていうのか?漢字で書くと「藪」なのか?という話になりました。無関係な話でもないので早速広辞苑で調べてみたところ、「ヤブ」は「野巫」と書くのが本当だそうで、今は「藪」の字を当てているそうですが、この「野巫」とはいなかの巫医(ふい)のことだそうです。さらに巫医とは巫(みこ)と医(くすし)だそうで、昔は医者を薬師(くすし)と呼んだと聞いたことがありますが、さらに遡ると病気は祈祷で治すという、どうやら大昔から私の仕事はかなり眉唾な位置づけだったようです。私は今もできればお祈りで病気やケガが治ればいいのにと思ってますが・・・話は少し戻って、いなかの巫医は術を一つしか知らず、つまり治せる病気も一つだけだったということから、腕の悪い医者を「ヤブ医者」と言うようになったようです。しかし、私から言わせると、私を含め、少なくとも日本の医者の多くは「ヤブ医者」なのです。日本の医学教育は今まで専門家(=スペシャリスト)を養成するのに向いたプログラムとなっており、事実、世界的にも優秀な専門家を数多く育ててきました。しかしその一方で、家族全員がかかりつけにできるような総合医(=ジェネラリスト)が少なく、中国を含め、外国ではこれにあたる「全科医」や「家庭医」、「primary physician(=「初療医」と訳すことがあります)」と呼ばれる医師が一つのエキスパートとして認められていますが、日本ではこのような医師を今まで「よろずや」とか「五目医」と、なんとなく蔑む風潮がありました。しかしこれではいけないと、数年前からジェネラリスト養成のプログラムを政府が始めましたが、残念ながら現場から見るとあまり効果を上げているとは思えません。それでも、今までそんな医者はいなかったのかというと、昔のいなかの開業医の先生などは、赤ん坊の発熱からお年寄りの高血圧まで幅広く対応できたのですが、そんなテレビのDr.コトーのようにオールマイティーな先生は、地方の過疎化と共に今やほとんど
見かけなくなってしまいました。ですから今は、大学病院の有名な先生といえど、離島やいなかの診療所の仕事ほど怖い仕事はない(全く専門外の患者が来た時に都会のように他の病院にすぐ転送するわけにもいかない)と思っていたりもするのです。実は医務官という仕事もジェネラリストでなければ務まらない、医者の中ではそう言う意味で難しい仕事の一つなのですが、私たちも医務官になる前はそれぞれ専門があり、内科や外科はもちろん、眼科や精神科、皮膚科、救急救命医、産婦人科など、その出身はさまざまです。そしてその中には、実はジェネラリストになるための訓練を最大の目的として医務官になったという医者も少なからずいるのです。さらにはジェネラリストとしての経験を積むためには、離島の診療所に行くか医務官になるかの二者択一でずいぶん迷ったという医務官もいます。

 ところが世の中というものは、「医者」と聞くと、病気やケガのことなら何でもわかると思っているらしく、まあ確かに医学部では一通りの勉強をしたはずですが、例えば私は産婦人科や小児科は試験の点数も悪く、未だに特に苦手な分野です。つまりは、家族(妻と子供)の病気にはどうも疎いということで全く頼りにならず、家内には昔からヤブ医者呼ばわりさ
れている始末です。私は経験ありませんが、飛行機の中で急病人が出ると「お客様の中でどなたかお医者様はいらっしゃいませんか?」とアナウンスされるという噂はよく聞きますね。でも、医者の方からしてみれば、何の病気の患者か全くわからない状況では、よほど優秀なジェネラリストだという自信がない限り、これに「ハイ、私は医者です。」と手を挙げることがどんなに勇気が要ることか、これでおわかり頂けるでしょうか。私は考えただけでも冷や汗が出てきます。どうやら私はやっぱりヤブ医者のようですね。

 なお、このコラムでは、なかなか個別に応じて差し上げることができない在留邦人の方の健康相談の窓口としても、皆様からの御意見、御質問を受け付けたいと思っております。残
念ながら全てにはお応えできませんが、できるだけこの紙面をお借りしてお応えしたいと思いますので、下記アドレスまで御遠慮なくメールをお送り下さい。

 在中国日本国大使館 医務官 稲富雄人 medical@eoj.cn

 また、このコラムは、医務官が北京で暮らす中で、あくまで一人の日本人医師の目線で日々感じたことを書き綴ったものであり、大使館としての公的見解や方針とは何ら関係ありませ
ん。


前の文章:医者の不養生 vol.16―よそ行きのパジャマ
次の文章:医者の不養生 vol.18―萬事如意