北京日本人会希望小学校第10校目(河北省興隆県平安堡鎮東南溝小学校)
朝9時、北京日本人会一行8人はやや手狭なマイクロバス(前回は大きすぎたが)で北京東方約100キロ、燕山山塊の中央の山里に向かった。バスの中には折り詰めの昼食、水、ビール、ジュースが積み込まれ足の置き場もない状態(出発直前に現地から昼の宴会にどうしても参加して欲しいとの電話が入り、根負けし、せっかく準備した折り詰めは無駄になってしまったが)。それでも晩秋の晴天に恵まれ、遠足気分。皆で他愛もないことを喋りながら壊柔、密雲と順調に進み、遠距離バス停の前で街道を外れ東に向かう。途端に一帯は冬枯れた田園地帯。埃だらけの青い人民服を着た真っ黒に日に焼けた爺さんが道端で日向ぼっこをしている。周りの山もぎざぎざと尖り、北京中心からわずか二時間あまりでチベットの様な風情だ。北京市の面積は四国の8割。繁華街もあればチベットも有るほど広いのだ。
11時過ぎ、北京市を出て河北の最初の街、興隆にさしかかると道端に黒塗りの車が3台、我々をいまや遅しと待っている。興隆県共青団書記の孫さん一行だ。その車について10分ばかり、山際の白亜3階建ての西洋風ホテルに案内され昼食を共にする。持参の折り詰めで何とか逃げ切ろうと計画していたがさすがに地元の熱意には逆らえない。承徳市の共青団書記史さん一行も加わり、20人、二テーブルに分かれてアルコール抜きの農家菜の昼食となる。その間に次のようなことを伺った。
- このたび竣工した学校の有る東南郷村の住人は700世帯、2150人。生徒は220人。
- 1934,1970に建設された二つの学校が有ったが古くなり倒壊の危険が有るので使えなくなった。その二校を合併して土地7640㎡、建物面積876㎡を新設した。
- この7月から建設を始め11月に竣工したが、内装は1階部分のみで、2階は冬になったため中止、来年春に工事を再開予定。
- 総経費は74万元、内20万元を日本人会、残りは市、村政府、企業等からの資金を使用した。日本人学校からの机、ロッカー等の寄付は4万元にのぼる。
- 建設に当たっての問題は果樹園だった土地の収用。裁判まで起きて解決(賠償金の支払い)に時間がかかり竣工が遅れた。
- 当学校の学費は年130元。一帯の平均世帯年収は2600元ほどなので支払いは問題無い。先生の給与は月額1千元程度。
- 学校建設の予算策定は県の教育部が実施。政府の予算を手当てするか、発展基金に依存するかも同部が決定。発展基金に依存するのは基本的には貧しい地域。
- 竣工した後の教育体制の管理は県の教育部所属の「中心校」なる、日本の各地の教育委員会の様な機構が管理。
- 今回の場所は希望工程の一般からすれば恵まれた地域。日本人会の希望もあって北京から日帰りできる所を提案した。東北地方等、県に1つも学校が無いようなところへの寄付が望まれる。
矢継早の質問もあり1時間の昼食はあっという間に終わったが料理はどれも大変おいしく、特に特産の豆腐は柔らかいものと固いもの二種類あり、滋養豊富な大豆の香りのする、懐かしい味だった。
昼食後さらに東へ向かうと山の中に突然近代的なアパート、ビル群が現れた。これが興隆の街だがあまりの立派さにいささかはなじらんだ。車はその街を背に南へと細い道を入る。ほどなく道は田舎道となりあたりは正に畑。レンガつくりの農家が軒を並べ、その裏手にトウモロコシ畑が広がる。前方には峨々たる山々が連なる。そして20分ばかり、突然あたりが開けて前方の台地の上に、青と黄で塗り分けられた二階建てのコンクリの希望小学校が現れた。
まだ整地されていないでこぼこ道を校庭へ乗り入れる。車をおりた途端校庭に整列した鼓笛隊がぶかぶかどんどんと音楽を始める。泥の校庭の周りには色とりどりの旗が風にはためき、村人総出で遠巻きにしてこちらを見物している。
13時、予定通り国旗掲揚から竣工式典が始まる。興隆県教育委員会副書記馬氏の挨拶。貧乏地域のため金が足りなかったが日本人会からの二十万元のおかげで実現出来たとかなり具体的に日本人会の貢献を説明してくれた(この旨が黒い石に彫られ、国旗掲揚塔の台座に貼り付けられていた)。学生代表の女の子は毛沢東の言葉をひいて努力、努力 再に努力と、新しい校舎への期待をはきはきと表明してくれた。最後にテープカット、そして施設の見学。式次第は実にてきぱきと進み気持ちが良かった。この地は冬には零下20度ほどまで下がるそうで、遅い季節の式典で寒さを心配したがこの日は快晴で暖かかった。
この地一帯は果樹園が多く、栗、さんざし、りんご等の産地だ。二時ころになるとやや日が翳る感じであちこちで燃やしている焚き火の煙がゆっくりとたなびく。空気が良い。春になれば新緑もきれいだろう。子供たちが日本人会から持って来たソフトボールを使って早速遊んでいる。今後の希望工程へのチャリティーのあり方としてこうした学校との定期的交流といったことが有るものだろうか? あるんではないか。
校庭の外れでは屋台のお菓子屋まで出た。竣工式は正に村のお祭り。式が終わると親と子が三々五々楽しそうに帰って行った。 想像していた絶対的貧困とは程遠い山の村の小学校だった。
帰りはやや渋滞もあり3時間半。それでも車一杯の栗とサンザシのお土産を乗せて予定通り6時に発展大履に到着した。狭いマイクロの中で腰が痛くなったがすがすがしい一日だった。
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